「恋愛が趣味です」っていってもいいと思いますよ

たまたま目立って発信してるからなだけかもしれませんが、インナーチャイルドが癒されてない人に、恋愛依存なタイプが多いような気がします。


恋愛初期のときにでるホルモンは、刺激系の幸福ホルモンなので、

山登りとか、レーシングとか、ギャンブルの時にでるホルモンと同じとききます。

そういった刺激を必要とするのも、人それぞれ多様性があることで、別に問題はないと思うのですが、(山登り趣味でも、パチンコ好きでも、本人がよければ他人はとやかくいわないですよね?)


ですが、結婚している人が、ここに罪悪感をもってやってしまうと、社会的な要因などで辛くなっているようで、それを感じたくないからか、「これは愛です!」「単なる欲望とはちがいます」と無駄に発信して、逆に「単純に肉体の欲求を楽しんでいる人」を非難したり、そうでない自分は「正当な愛の体現者」であると声高にいってみたりしてるのをみて、むしろ「これ趣味なんでほっといてください」でいいのでは?ってくらいに思います。w

だって、ギャンブルで困っても、当事者と家族は困るかもだけど、それ以外の人は実質、困らないんだもん。

だから、いちいち「私は軽率じゃないんです。本当の愛なんです」っていって回りにいちいち認めてもらおうと発信しなくても、

「他の人には共感してもらえないかもですけど、これがには必要なんです。私の生きがいなんです」って自分で自分のあり方をみとめて、開き直ってしまえば、そのほうが「あなたはそうなのね?」ってまんま認められた波動が帰ってくると思うのですけどね。


恋愛依存な人の中には、自分で自分の価値を認められないから、誰かに認めて欲しいって欲求が潜んで、パートナーにコントラストを見せられると関係が悪くなり、続かないという方もいらっしゃるようですけど、

そういう方は、そういう弱さが自分にはあるってことに気がつくまで何度もつまづくので、あっさり自分の弱さを認めちゃったら、それだけでもう楽になりそうですけどね。


弱い自分を認めず、批判する社会を批判して、自分のあり方を正当化するって、めっちゃ大変だし、まったくもって「鏡」じゃないですか?


そこやめたら、単純に「肉体の欲求」や、「三次元を楽しんでいる人」をジャッジする必要すらそもそもないと思うのです。


回りの人も、いいじゃないですか、自分がしたくなければしなければいいだけのことだし


ちなみに、恋愛ホルモンが枯れる頃が、コントラストと向き会うチャンスなので、そのときにまた相手を変えながら「自分の本当の気持ち」をしっていってもいいし、同じパートナーとコントラストを乗り越えてもいいのです。

どっちがいいのかも好みですw


どのみちその時期を乗り越えた先にあるセロトニン系の幸福ホルモンが人の体に優しいってことだけで、それが好きかどうか、つまり死ぬか生きるかホルモンの刺激「恋愛、ギャンブル、スピードetc」が好きってのは、もう好みの問題なので、山で死ねたら本望って言ってる人を山にいかせないことってですから。


あ、あと、家族が困るとか子どもが困るって言う方もいらっしゃるけど、それを経験して乗り越えたくてその出来事にであってます。

一見、困ったことに見えても、そこから「自分と向き合う」チャンスになるってことなどわかってやってるので、社会的な「ストーリー」に洗脳されないほうがいいと思います。

され妻さんだって、もっともっと素敵な人生がまってるのですから、決して被害者ではありませんから。

今はそうは見えなくても、おこるすべてはきっといいこと、決めたらそう動きます。



自分の思い込みをしるのに役に立ちます。

相手を変えようとするのやめれます。

永遠の愛を育むパートナーシップメソッド















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